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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)2075号 判決 1993年6月24日

原告

山本操

ほか二名

被告

北岡哲

主文

一  被告は、原告山本操に対し、金四万四七一五円及びこれに対する昭和六一年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告山本理香及び山本光世に対し、各金二万二三五七円及びこれに対する昭和六一年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らの負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一請求

一  被告は、原告山本操に対し、金三一一八万三〇四八円及びこれに対する昭和六一年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告山本理香及び原告山本光世に対し、各金一五五九万一五二四円及びこれに対する昭和六一年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

被告は、昭和六一年三月六日午後九時九分頃、大阪市港区波除三丁目五番二三号被告方駐車場から被告所有の自動車(以下「被告車両」という。)を運転して、後退して公道上に出ようとした際、公道上を南から北へ向けて進行していた山本定信(以下「定信」という。)の乗つていた自転車に衝突し、定信を転倒させ、定信に対し、頸部捻挫、腰部挫傷、左大腿部擦過創の傷害を負わせた(以下「本件事故」という。)。

2  責任

被告は、被告車両を所有していたものであつて、被告車両の運行供用者であるから、自賠法三条によつて、原告が本件事故によつて受けた損害について賠償する責任がある。

3  治療経過

原告は、右各傷害について昭和六一年三月六日から同月一一日まで(実治療日数五日)、小川病院に通院して治療を受けた。

4  死亡

(一) 定信は、昭和六一年三月一一日午後一時頃、急性心機能不全で死亡した。

(二) 定信は、非常に神経質な性格であつて、自律神経失調症の既往があるところ、昭和六〇年中四回の入院による休業のため職場の人間関係が気まずくなつていたところに、本件事故によつて前記各傷害を被り休業を余儀なくされ、首筋の痛み、左手の痺れ及び背中の疼痛を感じる一方、家族への心配や職場復帰に対する不安が生じ、それによつて強度の精神的緊張状態に陥つて、その持続が自律神経系の調整機能に影響を及ぼし、ついには神経機能の停止による死に至つたものである。

(三) なお、定信には、昭和六〇年頃に不整脈の既往症があつたものの、それは昭和六一年二月二七日には消失しており、また、その不整脈も症状からして死につながるようなものではなかつたものであるから、定信の心疾患は、本件事故と定信の死亡との因果関係を否定する理由とはならない。

5  損害

(一) 定信は、本件事故によつて前記のとおりの傷害を受け、死亡するに至り、以下のような損害を被つた。

(1) 治療費 六万六八二〇円

前記小川病院における通院治療分である。

(2) 休業損害 五万八四七五円

定信の昭和六〇年の年収は一四七万二六六七円であるところ、それは、四回の入院による欠勤があつたためであつて、本件事故の発生した昭和六一年には、健康を回復していたものであるから、年収を算定するにあたつては、健康であつた昭和五九年の年収四二六万八六七五円、即ち日額一万一六九五円を基礎とすべきである。そして、本件事故によつて五日間の休業を余儀なくされたものであるから、それを乗じたものが休業損害額となる。

(3) 通院慰謝料 一五万円

(4) 逸失利益 四三五六万六〇九六円

定信は、本件事故当時四五歳で、木村鉄工株式会社に勤務し、健康時の年収は四二六万八六七五円であるところ、就労可能年数が二二年、生活費が収入の三〇パーセントと考えられるから、新ホフマン方式により逸失利益は右のとおりとなる。

(5) 死亡慰謝料 一八〇〇万円

(二) 原告山本操(以下「原告操」という。)は、定信の死亡によつて葬儀費用八〇万円の損害を被つた。

6  原告操は定信の妻、原告山本理香及び原告山本光世は、定信の子であり、定信には他に相続人はいないので、前記の定信の損害のうち、原告操は二分の一を、その余の原告らは各四分の一をそれぞれ相続した。

7  本件弁護士費用のうち、認容額の一割については、本件事故と相当因果関係のある損害といえるので、被告が損害賠償する責を負う。

8  よつて、自賠法三条に基づく損害賠償請求の一部請求として、原告操は、被告に対し金三一一八万三〇四八円及びこれに対する不法行為日である昭和六一年三月六日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の、その余の原告らは、被告に対し、各金一五五九万一五二四円及びこれに対する不法行為日である昭和六一年三月六日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、原告主張の日時、場所において、被告の乗つた被告車両と、原告の乗つた自転車の間で交通事故があり、定信が転倒したことは認め、事故の態様及び受傷内容については否認する。

この時の事故は、被告が被告車両を被告宅の車庫にバックで入れようとしてゆつくり進行していた際、あるいはその途中で停止していた際、南から北に向け進行していた定信の運転していた自転車が、被告車両に接触したか、あるいは接触を逃れる際にバランスを失つて転倒したものである。

また、原告らが定信の傷害と主張するものの症状は、定信の変形性頸椎症という既往症に発するものであつて、本件事故によつて生じた傷害ではない。

2  請求原因2の事実については認める。

3  同3ないし7の事実は知らず、その主張は争う。

定信の死亡は、本件事故と因果関係がまつたくない。そのことは、本件事故状況、原告の主張する本件事故による傷害の程度からして明白である。

定信の心機能不全による死亡は、既往の心臓疾患に起因するものである。

三  抗弁(過失相殺)

本件事故の態様は、二1で主張したとおりであるところ、その際、定信は相当酒を飲んでおり、ふらつきながら運転をしていた状況で、前方注視義務を怠り、前方で車庫入れ中の被告車両の動静確認が不十分のまま漫然と進行したことにより、被告車両の発見が遅れたものであるから、本件事故については、定信の過失も大きいといえ、相当な過失相殺がなされるべきものである。

四  抗弁に対する認否

争う

理由

一  本件事故の発生

昭和六一年三月六日午後九時九分頃、大阪市港区波除三丁目五番二三号先路上において、被告の乗つた被告車両と定信の乗つた自転車の間で交通事故があり、定信が転倒したことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に原告操本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、被告は、被告方駐車場から被告車両を運転して、後退して公道上に出ようとした際、左右後方の安全を確認しなかつた過失により、公道上を南から北へ向けて進行していた定信の乗つていた自転車に、被告車両の後部を衝突させ、定信を転倒させたことを認めることができる。

二  被告の責任

被告が被告車両を所有していたことについては、当事者間に争いがなく、被告は本件車両の運行供用者であつて、その運行中本件事故を起こしたものであるから、自賠法三条によつて原告が本件事故によつて受けた損害について賠償する責任がある。

三  定信の受傷及び治療経過

乙第一ないし第四号証及び原告操本人尋問の結果によると、定信は、小川病院において、本件事故によつて一週間の経過観察及び休業の必要な頸部捻挫、腰部挫傷、左大腿部擦過創の傷害を負つた旨の診断を受け、昭和六一年三月六日から同月一一日まで小川病院に五日通院し、右傷害の治療を受けたことが認められる。しかし、甲第五号証の一、第七号証の一ないし五によると、定信は、事故に先立つ昭和六〇年二月一日から翌六一年三月一〇日にかけて、後記の通院治療ないし入院治療中の松岡循環器内科(以下「松岡内科」という。)及び医療法人仁生会内藤病院(以下「内藤病院」という。)において、しばしば、頸や肩のこり、頭痛、全身、特に左手の痺れ等を訴えており、昭和六〇年六月三日内藤病院において、変形性頸椎症の診断がされ、同六一年二月一〇日まで頸椎牽引等の治療を受けていたことが認められ、乙第四号証及び原告操本人尋問の結果によると、定信は、事故当日小川病院で受診した際には、特に主訴はなく、とりあえず湿布の処置を受けたのみであること、翌日の同年三月七日になつて、首筋が痛いこと、左手が痺れること、背中全体に疼痛があることを訴え受診したが、その際、担当医に対し既に変形性頸椎症と診断されて治療を受けていることや従前頸のこりや痺れ等の症状を呈したことがあることを伝えた形跡がなく、他覚症状としては左大腿部擦過創しかなかつたことが認められるところ、これらの事実からすると、小川病院の頸部捻挫の診断の根拠となつたと思われる諸症状は既往の変形性頚椎症等によるものと推認され、定信が本件事故によつて被つた傷害は腰部挫傷、左大腿部擦過創のみであると認められる。

四  死亡

甲第一、第三、第四号証及び原告操本人尋問の結果によると、定信は、昭和六一年三月一一日午後一時頃、急性心機能不全で死亡したことが認められる。

五  本件事故と定信の死亡との因果関係

1  定信の事故前の状況

甲第五号証の一、二、第六号証の一ないし六、第七号証の一ないし五、第八号証、証人松岡謙二の証言及び原告操本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。

(一)  定信は、昭和五九年一〇月からめまい、動悸等があるとの主訴で、同六〇年一月一〇日、松岡内科の松岡謙二医師(以下「松岡医師」という。)の診断を受けたが、松岡内科受診以前の同五九年一一月二一日松永クリニツクでとつた心電図に不整脈があり、松岡内科で受診した当日に運動負荷後にとつた心電図に不整脈の多発が認められたため、抗不整脈剤の投与を受けた。

(二)  定信は、その後同年八月九日まで、上気道炎等の治療を受ける他、眩暈、吐き気、手足の痺れ、全身の震え、倦怠感、呼吸困難、不眠等を訴え、松岡内科に七六回通院し、三回心電図をとつたところ、同年三月一二日には不整脈が認められなかつたが、刺激伝導の遅延が認められ、同年五月二七日及び同年六月一〇日には不整脈が認められた。

(三)  定信は、並行して、同年五月三〇日に、発作的な心悸亢進、倦怠感を主訴として、内藤病院を受診したが、常態では不整脈は発現せず、同年六月四日に運動負荷を行つたところ、不整脈が一過性に発現した。内藤一馬医師(以下「内藤医師」という。)は、抗不整脈剤や自律神経の安定を図るため緩い作用の安定剤を投与し、通院によつて経過観察することとし、禁酒・禁煙を指示した。

(四)  定信は、内藤病院において、心臓の治療を受ける他、身体の震え、寒気、手の痺れ、呼吸困難感、不眠等を訴え、それらについては、自律神経失調症として治療を受け、同年八月五日までに一一回同病院に通院し、経過観察されていたところ、特に不整脈発作は認められなかつたが、上記の自律神経性と判断された不定愁訴が多く出現したため、同日入院し、不整脈の出現があるか等の検査をすることとなつた。入院時には、突然呼吸が粗くなり、手足が痺れることがあると訴えていたが、不整脈は出現せず、右記の不定愁訴の改善をみたので、同月一三日に退院となつた。

(五)  定信は、以降も、内藤病院への通院を続け(九回)、経過をみていたが、同年九月四日、発作性の頻脈型の不整脈を仕事中に訴え、高所作業に耐えられないとして、内藤医師を受診したところ、不整脈が認められ、身体の震え等の神経症状も増強したため、入院となつた。入院時は、倦怠感、吐き気、胸痛等を訴え、時々一過性の不整脈発作がみられたが徐々に安定してきて、日常レベルでは不整脈の出現が認められなくなつたため、同年一〇月八日退院し、運動許可範囲を決め、外来で経過をみることとなつた。

(六)  定信は、同年九月二七日松岡内科への通院を再開し、不整脈、風邪等の治療を受ける他、不眠、身体の痺れ、息切れ、足が笑う等の主訴で、同年一二月一三日まで九回通院した。松岡医師は、同年一〇月三日にとつた心電図の不整脈には危険な兆候があるとして入院相当と判断したが、当時、定信は心臓については内藤医師の判断を受けていることを聞いていたので、その治療に委ね、安静を命じ、血管拡張剤を投与するに止めた。

(七)  定信は、その後も、内藤病院に通院したが(三回)、同年一〇月一三日から発作があり、その後も頻回に不整脈発作を繰り返し、同月二二日の朝、動悸、悪寒、戦慄があつたため、入院し、入院中は、全身の震え、痺れ、歩行障害、不眠、悪寒等を訴えていたが、翌六一年一月一六日不整脈が消失し、主訴も安定したので退院し、外来で経過観察することとなつた。その後、同病院へは、変形性頸椎症について外科を受診するのみで、内科への受診はしなかつた。

(八)  定信は、一方、松岡内科に、昭和六一年二月一〇日ドキドキして震える、寒気がするという主訴で通院し、風邪の処置を受け、同月一四日動悸、むかつき及び多発性の関節痛があるという主訴で通院し、不整脈が原因であると判断され、同月二七日に心臓がドキドキして、身体が震えるという主訴で通院し、脈が不整であつたが、心電図には異常がなく、同年三月五日風邪で通院し、その治療を受けたが、その際、特に松岡医師に心臓の症状は告げていなかつた。

2  本件事故後の状況

乙第一、第二、第四号証、第五号証の二、証人松岡謙二の証言及び原告操の本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。

(一)  定信は、本件事故直後、小川病院で手当てを受けた際は特に主訴はなく、午後一〇時ころ自宅に帰宅した。定信は、原告操に対し、自転車で帰宅途中、車が横から出てきて当たつた旨説明した。なお、定信は飲酒していたが、正体を失うほどではなかつた。

(二)  定信は、翌日、首筋の痛み、左手の痺れ、背中全体の疼痛の症状があつたため、小川病院を受診したところ、一週間の経過観察と休業が必要な頸部捻挫、腰部挫傷、左大腿部擦過創との診断を受け、翌八日、一〇日及び一一日に同病院で受診し、主に湿布の治療を受けた。

(三)  定信は、原告操に対して、診断書のある間は休業する旨告げて、七日以降会社を休んだ。

(四)  定信は、一〇日風邪を主訴とし、松岡内科を訪れたが、その際、心臓については主訴はなく、松岡医師からみても、特に所見はなかつた。

(五)  定信は、事故後死亡するまでの間、いらいらして眠れない旨原告操に訴えていた。

3  死亡時の状況及び解剖所見

甲第三、第四号証、証人吹田和徳の証言及び原告操本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告操は、昭和六一年三月一一日帰宅すると、定信が、台所兼居間で横になつて死んでいるのを発見した。

(二) 定信の死は変死として、遺体は司法解剖されることとなり、監察医吹田和徳は、翌一二日、司法解剖を行つた。

司法解剖の際、定信には外傷、内部的な臓器の損傷はなく、交通災害と死亡との直接的な関係は否定された。また、定信の心臓は、通常の心臓の二倍程度の大きさ(五六〇グラム)に心臓肥大(心筋線維が長くなつたり、肥厚したり、数を増して肥大するもの)し、脂肪心(心臓の脂肪組織の増生の甚だしいもの)の状態であつて、心臓の機能不全が起こり、定信は死亡に至つたものと判断された。

また、定信の死亡は、心臓の発作が起こつてから死にいたるまでが数分の急性死と判断された。

4  不整脈の種類と危険度

甲第九号証、鑑定人金子昇の鑑定の結果並びに証人松岡謙二及び証人金子昇の各証言によると以下の事実が認められる。

広義の不整脈とは、心電図上脈が異常を呈すものあるが、その内には、実際に脈が不整である狭義の不整脈と実際には脈が不整でなくとも電気的な通路が阻害されるために心電図で異常として現れるものがある。不整脈の中には一定の疾患が原因となつているもの、過労、寝不足、肉体的・精神的ストレス、カフエイン類の摂取等が誘因となつているものもあるが、まつたく原因不明のものも多い。狭義の不整脈のうちには、上室性不整脈と心室性不整脈があるが、心室性不整脈はそれ自体突然死の原因となりうる危険なものであるが、上室性不整脈(上室性期外収縮、発作性心房細動等)については、合併症を有する例を除いて比較的生命に対する危険性は少なく、健康上まつたく問題の現れないものもある。

5  定信の死亡時の心臓の状態

(一)  以上の経過と不整脈の一般論を踏まえ、定信の死亡時の心臓の状態を判断するに当たつて、まず、定信の既往症の担当医である松岡医師、内藤医師、死体解剖を担当した監察医吹田医師及び定信の死因について鑑定を行つた金子昇医師(以下「金子医師」という。)の各見解を概観する。

(1) 松岡医師

甲第五号証の一、二、第六号証の一ないし六、証人松岡謙二の証言によると、松岡医師の見解は、以下のとおりである。

定信については、多彩な不整脈が認められ、特に、昭和六〇年五月二七日には、心室性の期外収縮が、同年一〇月三日には、刺激伝導の途絶がそれぞれ認められ、特に後者については、危険な兆候であつたものの、その後の不整脈はおさまつてきていたので、不整脈の経過からは、心疾患の悪化は読み取れず、数日後に死亡するとは予測していなかつた。また、治療当時は、身体の痺れ、震えについては自律神経性のものと判断し、吐き気についてはメニエール症候群によるものと判断していたが、それらは心臓病の症状でもあり、その後の経過も考慮すると、心臓病が原因の症状であつた可能性もある。

また、一般的に心電図による不整脈のみによつて、心臓肥大及び脂肪心を判断することは困難であるが、定信の不整脈は前記のとおり多彩であつたところ、何らかの心筋異常があつて、心臓の機能が低下している場合に多彩な不整脈が出る場合があるので、解剖所見の心臓肥大及び脂肪心とこのような不整脈の経過とは矛盾しない。

そして、心臓肥大が通常の心臓の二倍程度であると、心筋の異常としては中等ないしそれ以上である。

(2) 内藤医師

甲第七号証の一ないし五、第八号証によると、内藤医師の見解は、以下のとおりである。

定信については、時期によつて、様々な不整脈が発したが、三回の入院の退院時には、それぞれ、日常レベルで不整脈の出現が認められなくなつていた。また、定信には、これらの不整脈の原因たる重大な疾患は発見できないが、悪化の要因としては、肥満及び喫煙及び過度の飲酒が挙げられる。

最終診療時の昭和六一年一月一六日時点においては、定信について特に高度の心機能不全状態を示す所見はないが、外来での経過観察は不可欠な病状であつた。

(3) 吹田医師

甲第三、第四号証及び証人吹田和徳の証言によると、吹田医師の見解は、以下のとおりである。

一般的に、心臓肥大は、心臓の収縮減弱に伴つてきた結果である。また、脂肪心は、心臓肥大が進んで、心臓の収縮減弱を補いきれない場合に、筋肉に脂肪がおきかわつてなる場合がある。

このような心臓肥大及び脂肪心は、慢性の経過をとるものであつて、定信程度の状態に至るまでには、月単位の期間の経過があつたものである。なお、心臓肥大及び脂肪心は、通常の開業医レベルの検査方法である心電図のみでは把握することは難しいので、定信の心臓肥大及び脂肪心が心電図検査によつて把握されなかつたことも十分考えられる。

また、心臓肥大及び脂肪心の場合、慢性的に経過したものほど、比較的本人の自覚は弱く、定信の程度のものであれば、自覚症状としては、強度の運動はできないという程度であつた。

(4) 金子医師

甲第五号証の一、二、第六号証の一ないし六、鑑定人金子昇の鑑定の結果及び証人金子昇の証言によると、金子医師の見解は、以下のとおりである。

定信の松岡内科での心電図において認められる不整脈はすべて上室性の不整脈であるし、治療経過に照らしても、定信の主訴は動悸であつて、その内容が時期によつて変わつていないことからして、心臓の症状が日増しに悪化していた兆候は認められない。

心臓肥大及び脂肪心がある者に心房細動がみられても、本人の主訴が動悸のみであつて、低血圧やシヨツク症状を呈せず、通常と同様の生活を営むことができるものであれば、それが生命の危険に繋がるものとはいえず、定信は通常の生活を営んでいたから、心臓肥大は生命の危険に繋がるものではなかつた。

(二)  当裁判所の見解

前記認定の事実及び以上の各医師の判断を比較検討すると、定信の不整脈自体は死の危険のある重大なものでなかつたが、定信には、昭和五九年末前後から心臓肥大及び脂肪心の傾向が生じ、時間の経過と共にその病状は悪化し、昭和六一年三月一一日の死亡時においては、心臓の状態は相当程度悪化した状態であつて、その規則的な収縮を維持するのが難しく、心機能不全による死の危険もある状態であつたと認めるのが相当である。

なお、この点につき、金子医師は当時の定信の心臓肥大は死の危険に繋がるものでなかつた旨の見解をとるが、金子医師は内藤病院での心電図をその判断の資料としていない上、その見解は定信が問題なく通常の生活を営んでいることを前提としていたものであるところ、前記認定の松岡内科及び内藤病院での治療経過で明白なとおり、定信は、昭和六〇年八月五日から死亡する翌六一年三月一一日までの二一九日余の間に三回に渡つて延べ一三八日内藤病院で入院治療を受けており、心臓病の症状である全身の痺れ、全身の震え、呼吸困難感、胸痛、吐き気等を訴えたり、悪寒・戦慄というシヨツク症状とも思われる症状となつたこともあり、常に倦怠感を訴え続け、一時は運動制限も受け、昭和六一年一月一六日内藤病院退院後も通院経過観察の指示を受けていたものであるから、金子医師の判断の前提に問題があるといえる。この点に、松岡医師の指摘する定信の多彩な不整脈と心臓肥大及び脂肪心は矛盾しないということ、吹田医師の指摘する心臓肥大や脂肪心の慢性的な経過のものについては自覚症状に乏しいということ及び両医師の指摘する心電図検査においては、その検査の性格上、心臓肥大及び脂肪心を把握することは難しいことも合わせ考慮すると、右金子医師の見解は採用できない。

6  本件事故と定信の心機能不全死との因果関係

(一)  各医師の見解

(1) 内藤医師及び松岡医師

定信の死亡に至る機序は不明であつて、一般的なストレスと心機能不全死の因果関係は否定しないものの、本件事故と定信の心機能不全死の因果関係は不明である。

(2) 吹田医師

定信は、心臓肥大及び脂肪心によつて、心臓の収縮運動が正常な形ではできない状態となつていたものであつて、それによつて、定信は、心機能不全が起こり、心停止して死亡したものである。

心臓肥大及び脂肪心の場合も、シヨツク状態が誘因となつて心機能不全が起こる可能性はあるが、交通事故によるシヨツクは持続しないのが通常であるところ、定信は本件事故後六日目に死亡したもので、特に本件事故後シヨツクが継続した旨の臨床的症状が認められなかつたので、本件事故によるシヨツクと定信の死亡との因果関係はない。

(3) 金子医師

一般的に原因不明の心臓肥大の場合突然死が起こることは知られているが、心臓肥大のない場合も心機能不全による突然死はありうる。

心臓の状態いかんをとわず、ストレスや不眠が誘因となつて突然死を起こすこともあるが、逆に、そのような誘因のない場合も多い。したがつて、ストレスと心機能不全による突然死の因果関係を肯定することができるのは、極めて強いストレスにさらされた場合に限られる。

本件の場合、定信が強いストレスを感じていたとは認めることができないから、本件事故と定信の心機能不全による死亡の因果関係は肯定できない。

(二)  当裁判所の見解

松岡医師及び内藤医師の見解は、一般的に、ストレスと心機能不全死の因果関係については、否定しないものの、特にその要件については明らかにしていない。吹田医師及び金子医師の見解は、定信の病状の点で死因についての判断は異なるものの、ストレスと心機能不全死との関係については、ストレスは、健康な心臓又は危険な状態にある心臓のいずれについても心機能不全の誘因となりうるが、それは、強いストレスないしシヨツクに該当するものに限るものという点で一致しているものであり、当裁判所も同様の見解をとるものである。

そこで、本件事故によつて生じた定信のストレスを検討するに、本件事故の態様は特に重大なものではないこと、本件事故による定信の傷害は仮に原告主張どおりであるとしても軽微なものであること、本件事故後定信の死亡まで六日経過しているが、その間の定信の様子は従来どおり不眠がちではあるものの、特に事故前の生活と変わつたものでなく、特に死亡前日である三月一〇日の松岡内科での受診時にも、事故の結果として特に変わつた様子があつたことは窺われないことを総合すると、定信が本件事故及びそれによる受傷によつて感じたストレスは軽微なものであつたと認められる。したがつて、定信の死亡当時の心臓の状態を捨象しても、定信の本件事故及びそれによる受傷によるストレスが定信の心機能停止の誘因であつたと認めることはできない。まして、定信の死亡当時の心臓の状態については、前記のとおり相当程度危険な状態であつたものであることも合わせ考えると、定信の死亡は、本件事故及びそれによる受傷のストレスと無関係におきた心臓の既往症である心臓肥大及び脂肪心による心機能不全ないし心臓肥大及び脂肪心と関連した心機能不全による突然死、即ち自然死であると推認するのが相当である。したがつて、いずれにせよ、定信の死亡に因果関係を認めることはできない。

六  損害

前記のとおり、本件事故と定信の死亡との間に相当因果関係がなく、本件事故による傷害については、腰部挫傷及び左大腿部擦過創が認められるところ、その損害額は以下のとおりである。

1  治療費 三万一四三〇円

乙第一、第三号証によると、小川病院の治療費のうち、腰部挫傷及び大腿部擦過創の治療と認められるのは、診察料及び左大腿創処置の全額、投薬料のうち外用薬及び処置料の二分の一並びに腰椎及び骨盤のレントゲン代であるから、それらを合計すると、右のとおりとなる。

2  休業損害

左大腿部擦過創及び腰椎挫傷の傷害のみでは、休業を要する傷害と認めることはできないから、休業損害を認めることはできない。

3  通院慰謝料 五万円

前記の、定信の傷害の程度、通院期間及び実通院日数等を考慮すると、その精神的苦痛を慰謝するには、五万円が相当である。

4  合計 八万一四三〇円

七  過失相殺

事故態様は、前記認定のとおりであるところ、定信の側にも、前方不注視の過失がまつたくないということはできないが、被告車両が後退して、路外施設から道路に進入していること、定信が自転車に乗車しており、特に危険な運転をしていたとは認め難いこと(ある程度飲酒していたことは認められるが、それによつて危険な運転をしていたと認めるに足る証拠はない。)等を勘案すると、定信の側には、過失相殺しなければ衡平に反する程の過失はないと解すべきである。

八  相続

甲第一号証によると、原告操は定信の妻、原告山本里香及び原告山本光世は、定信の子であり、定信には他に相続人はいないことが認められるので、定信の死亡により、前記の定信の損害のうち、原告操は二分の一を、その余の原告らは各四分の一をそれぞれ相続した。

九  弁護士費用

本件記録上、原告らは、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起追行を依頼し、その報酬及び費用として、相当額の支払いを約していることは明らかであるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが、被告に対して本件事故による弁護士費用相当の損害として求め得る金額は、原告操につき四〇〇〇円、その余の原告らにつき、各二〇〇〇円であるとするのが相当である。

一〇  結論

よつて、本訴請求は、原告操が金四万四七一五円及びこれに対する昭和六一年三月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告山本里香及び同山本光世が各金二万二三五七円及びこれに対する前同日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ被告に対し支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求には理由がないからこれを棄却するものとし、訴訟費用について民訴法八九条、九二条但書、仮執行宣言について同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判断する。

(裁判官 林泰民 水野有子 村川浩史)

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